長崎と言えば、やはり外せないのが眼鏡橋。
半日長崎を歩いた後、いよいよ眼鏡橋を目指します。
と、言っても、ここはやはりただ行って終わりではしょうがないわけです。
私がよく使うガイドブック、「ブルーガイド」は“徒歩”をテーマにおいているガイドブックです。
今回は、眼鏡橋と長崎の龍馬さんを歩いて巡ってみました。
路面電車のフリー切符を使って、眼鏡橋電停へ。
最近、電停の名前が変わったとあって、現地で手に入れたパンフレットにはまだ古い名前のものがあります。
眼鏡橋電停もその一つ。
元の名前は「賑橋」。
新しくなった名前は「眼鏡橋」なので、わかりやすくなりましたね。
電停から歩いて3分ほど。
古代ローマ人の石橋技術がポルトガル人に伝えられていて、ポルトガル人によってこの長崎に石橋を作る技術が入ってきました。
元は1634年に、興福寺の唐僧によって架けられました。
日本最古のアーチ型石橋とされ国の重要文化財になっていますが、1982年の水害で半壊。
翌年に再建されたものが今の姿です。
名前はもちろん、橋そのものが由来ではなく、水に映った姿が眼鏡の形だから。
私が訪れたときは風もなく、非常にきれいな眼鏡になっていました。
女子旅でしょうか?
いい画のモデルさんになってくれていましたので、一枚。
この眼鏡橋、近年ではもう一つの見所でテレビ番組などで取り上げられていますね。
隠れハートになっている石垣。
未だにわざとやったとしか思えないほどハートになっているのですが、わざわざハートにしたのではなく、計画通り石垣建造を進めた結果なのだとか。
ぜひご自身の目で見てみてください。約束します。
「エェェ~~~~」と、疑うと思いますww
眼鏡橋を渡って丘の方へ向かって歩いていきます。
「龍馬通り」の表示を目印に、浄安寺、三宝寺など、歴史感じる建物を横目に歩いていきます。
そこから急に細く、そして階段が続く道、それが龍馬通りです。
ここからが大変でした。。。
坂の多い町長崎のその真髄とでも言うところでしょうか、どんどんと丘を登っていきます。
ただ、たまには振り返ってみてください。
山登りでも同じです。
まっすぐ前だけを見て登り続けるのは大変ですが、たまに振り返ってみると、前では見えなかった景色が広がっています。
なんとも細い道の途中で、急に現れるのが歴史の教科書でも見たことがある文字「亀山社中」が。
厳密には亀山社中だった建物を当時の状況に修復して公開しているとのこと。
こんな丘の上にひっそりとある感じなのでしたが、ここに来ると人が多くいらっしゃっていて、記念館にはブーツやピストルなどが展示されていました。
またその近くには、龍馬のブーツの像があり、格好の展望地となっています。
靴のままブーツを履いてみる事もできますよ。
さらに10分程度でしょうか、坂道を登っていくと「風頭公園」にたどり着きます。
私は高知県桂浜の龍馬さんにはお会いしたことがあり、高知駅にある龍馬さんには何度もお目にかかってきました。
そして長崎の龍馬さんに、ようやくお会いする事ができました。
この展望台には、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の文学碑も建てられています。
ホントにたまたまでしたが、この日は龍馬さんの誕生日(?)かなんかで、長崎龍馬会の皆さんがイベントを開催していました。
お酒を振舞っていましたが、私はお酒は飲みません。
またこれだけの坂道を登ってきた体には、少々堪えます。
帰りは風頭山バス停からバスに乗ってしまうという手もあったのですが、やはり本数は少なく、結局ヘイフリ坂を歩いて下り帰りました。